○意識 [10]

  長期間苦しむ経験をすると、苦しむのが嫌になる瞬間が訪れる。その時、無心について知ると後戻りしなくなる。


 最悪な出来事による苦しみは、無心ということに出会う最高の出来事になる。


 意識として在り、無心について真剣に取り組んでいると、体に異変が起こることがある。例えば動悸や失神、原因不明の体調不良など。病院で診てもらっても、原因がわからないということがある。この時、不安な気持ちになるが、その感情に振り回されず冷静に観察し、無心を維持する。その期間は人それぞれ。この継続が無心をより当たり前の状態にする。これは習慣化される一つ前の段階。体への不安は、この一時的な体が自分であるという自我の誤った認識と執着から来る。それに気づく。


 継続の結果、無心が習慣化されてくると、その状況に適した言動が自然と起こる。意識がその人を動かす。もしくは意識がその人を通じて動く。つまり自我による欲望からではなく、その状況に調和した言動が直感的に起こる。また意識が動かすとは、全体の善について取り組むことでもある。


 意識として在ることは、本質であり直感であり洞察でもある。だから無心でいると色々なことに気づく。その中には世の中の法則への気づきなど。時代とともに移り変わる流行ではなく、世の中の変わらぬ法則に気づきやすくなる。それは本人を賢くする。意識として在る時間が長いほど囚われと固定観念が薄まっていき、物事を深くみる洞察力が働き、智慧も身に付く。反対に暇つぶしにテレビや携帯電話を見る時間が長くなると、意識として在る状態から離れ、思慮深さや賢さからは遠のく。


 世の中の表面上の流行りは変化し続けるが、根源的な意識は永遠と変わらない。


 意識だけが唯一のもので、この物質的宇宙も死後の世界も本質的ではなく一時的な夢。これは自我にとって大事なもの。


 思考がない意識は男性でも女性でもなく、その両方をも含む。


 意識があえて自我という意識から分離した状態を経験し、再び意識を意識してそこへ帰っていく。そう考えると紀元前600万年頃にチンパンジーから分岐した人間の進化も必然と思えてくる。チンパンジーに人間のような思考力や理解力はないが、人間は分岐後、脳が大きくなり、思考力も高まり、当初はまだ比較的薄かった自我もやがて強くなる。悪巧みを考える思考力も高まったが、愛情などの感情も理解できるようになった。地球上の生物の中で思考力を持つ人間は自我を理解し、他の生物よりも意識に帰ることに近づいた種と言える。つまり思考して意識を理解できる生物が生まれてくるのは、生命の進化の必然と言える。



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