○自我 [11]

 人はストレスがかかった時、自分について、原因について考え始める。すると自分の至らないところを直そうとしたり賢くなったりする。苦しみはさけたくなるが、正面から向き合えば成長につながる。



自我があるかぎり誰もが何かで苦しんでいると知っていると、相手への共感の気持ちと思いやりの心が芽生えてくる。それは一時的に起こる妬みや怒りの感情を抑える助けになる。


物など外部的なものに価値観を置いたまま結婚すると、精神的に苦しくなる。自分の時間がなくなる、自由に使えるお金がなくなる、相手の言動がストレスになる、仕事をやめられない束縛感、将来への不安。これらは自分より外側の事を求めるから苦しむ。ただ反対に、本質的な内面の価値に気づくための良いきっかけにもなる。


恋人でも結婚でも2人が意識として在ることを知らなければ、「私」を優先する自我が相手にあれやこれやを期待し始める。相手が期待に応えてくれなければ失望に変わる。自我が強いもの同士は期待も大きくなり、相手への不満も大きくなる。期待も失望も思考。自我の薄いもの同士は、相手への期待よりも思いやりが大きくなる。


自我は何に対しても「私」の喜びを考えて期待する。そして失望もする。


誰かに期待された時、それに答えなければ失望されるという恐れがあって動くことは、直感的ではなく自我の保身。ただ期待してくれる相手の善を思って行動することは愛情。


自我は静かにじっとしていることができない。何もすることがないと不安になる。だからいつも何かを考えて動きたがる。何かしなければならないと考える。


自我は退屈や寂しさに耐えられず、携帯電話を見たり、友達に会ったりして気持ちを紛らわせる。これらの感情も思考から来るもので、無心になると消えていく。


もし突然体調を崩して入院すれば、不安な気持ちになる。そんな時に無心に取り組むと、頭の中が恐れという思考に占拠されていることに気づける。無心になれば恐れを客観的に見れる。楽しい気分にはなれないが、良い訓練になる。


無心になり意識として在る時、分割はない。思考して言葉や文章として表す時、分割が起こる。良い悪い、早い遅い、嬉しい悲しいなど。分割のない状態は思考のない状態。その説明として言葉は役に立つが、説明できるのはその入り口まで。


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