○お金の社会 [1]

  政治、経済、教育、福祉、医療、科学、娯楽など、あらゆる業界はお互いに影響し合っている。その中で起こる問題はほぼすべて、直接的、間接的にお金と関係している。その理由はこれらの業界の大外には「お金」という大枠があるため。この大枠を出た脱貨幣社会に解決策がある。



 裸で野原やジャングルで生活していた人間が宇宙へロケットを飛ばし、インターネットで国際交流をするまでに科学を発展させるには、お金の社会というのは効果的だった。それによりもっと得たいという自我が刺激され、競争と戦争が生まれ、技術、知性、組織が発達し、便利にもなった。ただその科学技術は地球環境に悪影響を与え、滅亡させるところまでやってきた。


 お金の社会では、お金がほしいという欲がある経営者の方が事業を成功させやすい。意識として在る人に、そこまでの欲はない。お金の社会でお金を持つことは権力を持つことでもあるが、お金を奪い合うという争いを基本としているため、平和な社会を築くことはできない。お金を得る必要がない社会を築く時、意識として在る人々がリーダーとして表に出やすくなり、争いがなく自然環境が守られる社会が築かれる。


 お金の社会では、頭の良さは良い学歴に直結し、良い学歴は良い会社への就職や安定した高い給与へとつながり、国にとっては他国との競争に勝つための人材育成へとつながる。お金を基準として社会の仕組みが形作られている。この仕組みは獲得を前提としていて、意識として在るという本質的なことを基準とはしていない。


 お金の社会では人間の欲望が増大するため、価値観が獲得に大きく傾く。お金の獲得、物の獲得、役職の獲得、名声の獲得、人の獲得、技術の獲得。獲得で喜ぶのは「私」という自我。自我は自然の循環が補える以上の資源を食い潰す。意識として在る時、獲得という欲は薄れ、自然の循環内の必要最低限の獲得のみとなる。


 お金の社会では自我の止まない欲は物をもっと作り、もっと売り、その分天然資源は使い続けられ、ゴミも増え続ける。経済成長はこれの繰り返し。経済成長に反比例して、自然環境は破壊されていく。


 もっともっとと求めるお金の社会は自我を強め、無心から遠ざける。そうして道徳も節度も薄れる。


 お金の社会は個人的な損得の社会なので、個人の利益を守るルールや規制が増え、複雑になっていく。


 ルールを細かく増やしても、それをかいくぐる者が出てくる。特にお金への欲が絡むと。


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