○自我 [3]

 絶望した時、そのことを話せる友人は少ない。絶望は絶望を経験した人としか共感し合えない。人は本当に苦しくなると人に話さない。



物事がうまく行っている時は自信もつき、やればできるという気分になる。誰かにするアドバイスも前向きになる。ただその波に乗れなくなった時、自我はいとも簡単に自信を失う。自信に依存した行動はもろい。自信のあるなしに囚われない平常心は、無心からやってくる。


人生で起こる出来事は、良いも悪いもなく中性のもの。それに意味をつけるのが思考で、過去の記憶が決める。


自我は敵や味方を分けるが、意識にそういった区別はない。


意識として在る時、思考はないので前向きも後ろ向きもない。前向きに見える行動も、裏には恐れや不安が隠れていることがある。意識として行動する時、恐れや不安はない。


自我は体より外側ばかりを見ているため、他人の言動はよく見ている。しかし自分の内面のことは見ていない。だから失敗しても他人のせいだと考える。よって学びと成長がない。無心になるとは内面を見ていること。自我への囚われが薄い人ほど、自分に原因があるのではないかと考える。つまり自分をよく見て反省し、学び、成長する。


抵抗は自我の反応の一つ。


人の性格を変えようとすると相手はそれを察する。すると相手の自我が負けまいと抵抗して頑固になる。


自我に囚われていると自分中心になり、誰かに迷惑をかけて注意されても自分が被害者と考え、非を認めない。よって相手の自我と戦っても意味がなく、ひたすら逃げるのが相手の自我。


自我は負けず嫌いで、なんとしてでも負けを認めず勝とうとする。


誰が見ても残虐でひどいとされることを自我は行う。そして自我の強い者はそれを正当化する。

自我にとって正義はどうでもよい。自分が勝ち、得すれば良い。

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