○意識 [5]

  無心になるとは、最高に幸せな感情になるということではない。囚われがなく穏やかで普通な状態。


 自分にとって最高の何かを手にした時、大きな喜びに包まれる。それを失った時、失望も大きくなる。一時的な喜びと苦しみは表裏一体。



 意識として在るということを知り、それを実践していたとする。それでも日常生活の中で何かに執着心を感じているなら、記憶から来る思い込みが顔を出した瞬間だと気づける。気づくことで、その思いグセに振り回されなくなってくる。


 自我は成績など数字にも執着する。


 物質的なものに価値を感じていると、失敗は損で、成功は得に感じる。経験に価値を感じているなら、成功も失敗もどちらも有意義な体験。意識として在るなら、失敗も成功もなく、ただ出来事が起こっている。


 無心になると何かを得たいという欲望も消える。


 性欲が起こっても無心になると消えていく。


 所有するものが多くても少なくても、それへの執着がなければ心は軽い。


 無欲に勝る心の軽さはない。


 無欲に勝る強さはない。


 無心になると、意味を考えることもなくなる。すると人生の意味というものはなくなる。人生の意味を考えるのは思考であり自我。


 人生に意味はなく、しなければならないこともない。


 思考がない状態に探求はない。それは人生の探求の終わり。生と死の終わり。人間の終わり。


 人生に良いも悪いもない。それを決めるのは思考。思考は過去の記憶や固定観念からやってくる。


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