○自我 [5]

自我への囚われが強い者同士、囚われが薄い者同士、意識としてある者同志など、それぞれの言動パターンは似てくる。自我への囚われ度が近い者同士の付き合いが、それぞれ心地よいものとなり、友人などとして集まってくる。ただ自我が強いと争いが増え、自我が薄いと争いは少ない。


自我が強いと不誠実になる。不誠実な人はどんな綺麗な言葉を発しても、やがて自分の言動で本心がばれてしまう。言っていることとやっていることが食い違う。



自我は普通の出来事であっても、少し大きく脚色して相手に伝える。

思考はいつも物事の優劣、上下、善悪を判断する。子供はその傾向が薄いが、大人になるにつれて強くなる。


自我は接する人によって態度を変える。自我が強いほど人間関係を上下で見る傾向が強い。目上には媚びて声のトーンも高くなり、目下には威張り声も低くなる。そのタイプ同士は居心地が良いので、よく似たタイプが集まってくる。このタイプがリーダーになると、周囲もそういうタイプが集まってくる。そして組織の風土もそうなる。


自我が強い人が親分になると、親分は子分に威圧的に接し、子分は親分に意見できず従順に従う。その子分も下の子分には威圧的に接し、下の子分は上の子分に意見できず従順に従う。この繰り返し。幸せと苦しみが表裏一体なように、サディズムとマゾヒズムも表裏一体で自我の性質。


下の子分の自我は上の子分に怒られたくないため、萎縮して自分の意見が言えない。それを見た上の子分はいらだち、下の子分を非難して改善を求める。ところが上の子分の自我も親分に怒られるのが嫌で、自分の意見がはっきり言えない。それを見た下の子分は「お前も俺と同じじゃないか」と思う。自我はいつも自分の内面より外側を見ているため、自己矛盾に気づきづらい。これも人間社会の組織で起こっている。


自我は相手の権威や実力など、大きく強そうに見えるものに弱い。自分が勝てない相手には萎縮し、イエスマンになる。反対に自我は優しいだけのリーダーを扱いやすいと感じ、下に見る傾向がある。自我が強い人と付き合っていくために、リーダーは誠実だけではなく実力がいる。


盲目的にリーダーの言うことを聞いたりリーダーに恐怖を感じるスタッフは、リーダーが誰かを雑に扱うと同じ態度をとりがちになる。反対にリーダーが誰かに尊敬を持って接すると、それも従う傾向にある。これは自信のなさ、恐れ、自己保身など自我から来る従順な行動。自我への囚われが薄い人は、リーダーが誰にどんな扱いをしようとも誰にでも愛情を持って接する。その人は恐れに囚われていないため。


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