○意識 [6]

  自我ではなく意識として生きる。


 無欲になっても新たな人との出会いはあり、何かを作り出したりと行動も起こる。それは直感として起こる。



 無心を維持すると心や言動が穏やかになり、性格も落ち着いてくる。すると日常の問題が減ってくる。


 落ち着いた人がいると、周りも落ち着いてくる。落ち着いた人と話すと、怒ってる人も落ち着いてくる。落ち着きは物事を解決へと向かわせる。怒ってる人に怒り返すとお互い怒りが増大し、決裂へと向かう。落ち着きには不安や焦り、怒りという思考がなく、それは意識として在る状態。つまり調和する意識が主で、自我がそれに連なるもの。


 意識として在る時に思考はなく、区別するということもない。よって性別、問題、争い、分離、葛藤はない。また理解するということもない。何かが起こっても、ただそれが起こっているだけ。それは無関心という意味ではなく、見ている状態。


 無心であることが世界の平和につながる。自我に振り回されると争いが生まれる。無心が平和で、自我が争い。


 無心の時間が増えてくると、勝ち負けという競争に興味がなくなってくる。勝って優越感、負けて悔しさ惨めさを感じるのは自我。


 意識として在るというのは、思考がなく素直で純粋な状態。つまり邪気がなく無邪気。だから子供は愛らしく、言動も好まれる。大人でもそういう人はいる。


 知能指数の高い人は科学技術を発展させる。ユーモアのある人は楽しい雰囲気を作り出す。芸術センスのある人は新しい表現を作り出す。意識として在る人は平和な世界を作り出す。


 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力である第六感とは心眼のことであり、無心で意識として在る状態。だから直感的にものごとの本質に気づくことができる。意識とは洞察力のこと。


 何をしていても発想や成長するには、見て分析して取り入れることが必要になる。その際に新しい要素に気づくには洞察力がいる。それは頭の中に浮かぶひらめきに気づくこと。洞察力は無心の時に浮かぶ直感。反対に固定観念という思考が強かったり多かったりすると、それが障害物となって直感が入る隙間を消す。


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