○意識 [7]

  目から入ってくる情報は中性。目の前で事故が起こっていても、ただ出来事が起こっている。この情報を思考で判断しだすと、良い悪い、嬉しい悲しいが出てくる。この情報を無心で見ると、その入ってくる情報に対して意識は直感という形で応じ、言動が起こる。時には無反応や沈黙という時もある。


 お手玉で落ちてくるボールを手でキャッチする時、目をつぶってでは難しい。普通は視野の中心でボールを見てキャッチする。この中心視野の周りには、景色がぼやけて見える周辺視野がある。お手玉くらいの距離感であれば、周辺視野でボールを見てもキャッチすることができる。サッカーをしても周辺視野に入ってきた相手選手に気づいて、その裏をつくプレーが直感的に浮かんだりする。つまり周辺視野の情報は、物事を判断する上で大きな部分を占めている。無心であれば、意識は中心視野と周辺視野の両方から情報を得て、直感で応じる。



 反復すると考えなくても体が動くようになる。するとその技術は直感によって自然に使われる。体が覚えていない技術は思考しながら行うため遅く、直感的にならない。直感は瞬時に表現されるため、思考がなく速い。


 足の指をどこかにぶつけて痛い思いをすることがある。これは痛いという思考で苦しんでいる状態。こういう時も無心になり、痛みを客観視する。無心になっても体の痛みは消えないが、心で感じる痛み苦しみは消え、必要以上に苦しまない。体の感覚に苦しんだり楽しんだりするのも思考であり自我。


 同じ人と何年も過ごしていると色々な性格が見えてくるが、初対面の時に感じた相手の第一印象は、何年経っても変わらないということがある。初めての出会いは相手に対して先入観がないので、思考に邪魔されず、目から入ってきた情報を無心で見ることができる。その時、意識である洞察力によって相手のありのままに気づく。だから第一印象というのは、記憶に邪魔される前のその人の素の性格が見えている。


 性格がとても良い人は、誰が見ても一瞬ですぐにわかる。ちょっとした仕草でも性格の良さを感じさせる。性格が良いか悪いか迷うということは、そこまでではないということ。


 意識として在ることが当たり前になるほど、日々の言動に優しさや思いやり、調和といったものが自然なものとなってくる。


 全体の善を考えて日々行動している人は、誰からも信頼される。全体の善を考えるのは愛情でもある意識の性質。


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