○意識 [9]

  直感の他にも感情的判断、思いグセ、欲望、勘などで行動やアイデアが起こることがある。その瞬間はそれが直感だと思えたりもするが、少し時間が経って冷静になると、そうではなかったと思えることもある。この時も同じく行動する前にいったん立ち止まって無心になる。迷えば直感的ではない。そして進むのが自然に感じるなら進む。退くのが自然なら退く。期待、怒り、同情など感情的な時は無心ではなく、それで判断すると間違っているということがある。何が直感で、何が直感でないかを自分の中で理解するには、よく似た状況を何回も経験して、あの判断は直感によるものだったや、あれは直感以外によるものだったという自己分析を積み重ねる。すると何が直感的かが理解しやすくなる。


 直感と勘違いは紙一重。


 意識として在り、純粋な衝動に従って成り行き任せに人生を進んでいくと、理由はわからないが何か物を作り始めたり、新しいことを始めたりすることがある。何回かそういう経験をすると、人生の大きな流れがうっすら見えてきて、次への準備が起きていると思えることがある。こうして無心になると、自ずと進むべき道が見えてくる。これが普通になってくると、欲望による行動ではなく、人生は直感に従った一本道ということを実感する。こうして意識は直感を通じて人間を使い、人間は自我を超えて意識として生きる。


 心を静かにして人生を観察していると、どんな些細なことも人生で起こることはすべて起こるべくして起こっていると思えてくる。そう思わない段階では偶然に思える。



 無心の時、理解するという感覚はない。思考する時、理解できたと理解できないがある。思考で考えると二極化する。良い悪い、あるなし、好き嫌いなど。意識のなかに物質化した宇宙が広がる。意識は物質ではないが、物質である宇宙をも含む。意識として在る時に良い悪いはないが、その両方をも含んでいる。この観点で見ると、意識として在る時は人生に意味や目的はないが、意味や目的があるも含む。意味や目的を持つのが思考。思考では、自我に振り回された人間が意識という根源へ帰っていくことが目的だと理解でき、意識からすると帰っていくことが理由もなくただ起こる。


 人が意識として在ることへ取り組むきっかけの一つに、自然とその探究心が起こるということがある。他には、突然衝撃的な出来事が起こるということがある。それは絶望であったり、何か大事なものを失うなどの苦しみであったりもする。もし人生で予期せぬ巨大な苦しみに直面しても、それは根源的な意識に気づくきっかけだったと後に理解できる。病気は身体が発する危険信号で、生活などを見直す機会になる。人生の苦しみも同様に、その原因である思考も一時的で、本来の姿の意識に気づかせるきっかけとなる。


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