○極端な取り組み

  世の中には物の見方が深く、多くの人には見えない視点で物事を分析できる人がいる。こういった人は大体実力者だが、このタイプに共通しているのは極端な経験をしてきていること。だから物の見方がより深くなる。天職、適職以外の事柄に取り組んでいる人は、そこそこの熱量、そこそこの集中力、そこそこの時間で取り組みが終わる。よって少しの苦しい経験し、少しの喜びも経験する。その分経験値も浅く、物を深く観察する経験も少ない。会社で言えば平社員にあたる。物の見方が深い人や実力者は、極端過ぎるほど取り組んだ過去がある。物凄い量の本を読む、物凄い数の作品を作る、物凄い時間練習する、物凄い時間観察する、物凄い時間考える、物凄い働く、物凄い数の人に営業をするなど、一つのことに徹底的に、病的なほどに時間を割く。だから物凄い苦しんだこともあれば、物凄く得たこともある。よって物事の極(きょく)を知る。言い換えると1日24時間でできる取り組みの限界を知るので、0からその端までのことが理解できる。だから人には見えない部分や奥深さが見え、これぐらい集中して時間をかければこのレベルに達するというのが見えてくる。会社で言えば創業者に多い。



 そして人間は自分の経験したことを話す時は言葉に力が乗る。よって会話も魅力的になり、発言に重みも増す。だから極を経験した実力者の話は面白く、平均的な経験値の人の話は深みがない。


 平均的な取り組みしかしてこなかった人は、自分の子供や身近な人が極端な取り組みをしていた場合、それを不安に感じ、注意したりやめさせたりすることがある。極端な取り組みは健康を害する危険性がある。しかし反対の見方をすると、実力者へなるための必要な階段を登っている時でもある。


 極端なことをしているときはバランスを欠いている。しかしそれを一定期間続けると、コツをつかんでくる。するとその極端な事柄の効果的な部分だけを残しながら、手を抜くところとのバランスが取れるようになる。


 極端な取り組みは誰でもできる。ただそこには条件があり、自分がとことん熱中できる興味に従っている時や天職、適職に取り組んでいる時だけとなる。それを見つければ、自然と物凄い時間をかけて取り組むことになり、実力者に成長している。


 初心者から始める場合は質より量を求め、知識が増え、実力が高まり、全体像が見えてきたら見る目が肥えてきているので、量より質に変わる。


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